2016年9月27日火曜日

ペペ・アビチュエラ

満場の拍手にこたえるカナーレスを横目でみつつダッシュでアラメーダへ。

エスパシオ・サンタ・クラーラでは23時からペペ・アビチュエラの公演。
Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.

まずはタランタ。そしてソレア、と2曲ソロで。
1944年生まれというから72歳の大ベテランなのだが、年齢をまったく感じさせない若々しいトーケをきかせる。

「今年亡くなった、フアン・アビチュエラ、レブリハーノ、ホセ・メネセ、パコ・タラントに捧げます」
と、語ったが、亡くなったのはどれも同世代で長年共演してきた仲間たち。

ラフィータ・デ・マドリードという歌い手が、ペペの甥でギタリストのピリピをパルメーロに、パーカッションのバンドレーロとともに登場。
ファンダンゴ・デ・ウエルバ、ブレリア、タンゴときかせた。
ラフィータはうーん、アフィシオナードなのかな、あまり上手ではなく、なんかもったいない。それでも、締めなど随所に彼らしいフラメンコを聴かせてくれた。

それに引きずられたのか、ゲストのアルバ・エレディアもいつもの調子が出なかったのは残念。それでもグラナダならではのバイレは堪能することができた。


Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero







2016年9月26日月曜日

アントニオ・カナーレス「トリアネーロ」

ロペ・デ・ベガ劇場でのアントニオ・カナーレス公演「トリアネーロ」。
タイトル通り、トリアーナ生まれのカナーレスが、典型的なだけではない、自らのビベンシア、人生経験や、思いを形にしようとしたのがこの作品。
カナーレスのアイデアをアンヘル・ロハスが監督になって形にした。

場内が暗くなっただけで拍手がおきたのは昨日のファルキートと彼くらいだ。
幕があくと奥に足場がくまれ、上手には土。足場から工事用のライトのような照明が舞台をてらす。工事現場のようなセット。土の上にカナーレスが座っている。下手に並んだアルティスタたちが本名をよび、ここにいます、と名乗って行く。そこでよばれるマヌエル・モレーナの名前、そのあとの静寂。亡くなったトリアネーロたちへの思い。あの日のトリアーナへの思い。

男らは仕事に汗を流し、女たちは家で縫い物をし、たまのフィエスタで歌い踊って発散する。
お金持ちにいいように扱われながらも、その宴はお金持ちの羨望の的でもある。
フェリアがくればセビジャーナス、クリスマスにはビジャンシーコ。

ティエントやシギリージャを踊ったカルメン・レデスマの、昔ながらの伝統を感じさせる、少ない動きに思いをこめて踊る、その深み。

スーツに身を固めた、お金持ちを踊るポル・バケーロとポリート。かつてカナーレス舞踊団で活躍していたポルの成長ぶりに目をみはらせられる。

エルミニア・ボルハの深い歌声。ダビ・エル・ガジの巧みなカンテ。マリ・ペーニャの土臭い歌。マエラのビジャンシーコの軽妙なたのしさ。

パコ・イグレシアスがつまびく、カナーレスの昔ながらのソレアのメロディ。が、その振りは昔のままじゃない。

rchivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.
 踊り終わるとお金持ちにもらったパンをみんなでわけ食いつく。

最も心を動かされたのはカナーレスの母パストーラが歌い踊ったセビジャーナスとカンシオン・ポル・ブレリア「ニーニャ・デ・ベンタ」だ。
自然なやわらかなブラソ。愛嬌いっぱいの笑顔。ちょっとした仕草がトリアーナそのものだ。
アルティスタではない、彼女のような普通の人に、歌い踊ることも含めた、アルテがあるのがトリアーナなのだ。

rchivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.


へたすると足場の方が踊り手より明るかったりした照明など、細かいところをいえばきりがないが、1時間少々の短い舞台、観客はおおむね、満足していたようだ。




2016年9月25日日曜日

ファルキート「バイレ・モレーノ」

マエストランサ劇場でファルキート。

「バイレ・モレーノ」
モレーノは褐色の、という意味で、褐色の肌をもつ人のことをさすが、ファルキートの父である歌い手、故フアン・フェルナンデスの芸名でもある。その父への思いをかたちにしたのがこの作品。

幕が開いただけで拍手がおこる、というのもファルキートの人気のほどを示している。
上手手前の安楽椅子に腰掛け赤ちゃんを抱くファルキート。その子をゆりかごにねかしつける。

舞台全体が明るくなり、中央奥の坂から馬の足取りで、バイラオール二人、バルージョとポリートがやってくる。舞台一杯にカンポ、田舎に生きる人たち。男女二人ずつの踊り手たちだけでなく、同じく男女二人ずつの歌い手たち、そしてトロンボもバストン売りで、舞台を構成する。衣装も昔の普段着風だ。

バストンを使ったシギリージャ。バルージョとの争いの場面からポリートも加わって三人でバストンの持ち手をひっかけて三人で回ったり。バストン技がこれでもかと繰り出され、最後は両手に持ってのパーカッション使い。

Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.

下手手前の小さなバルカウンターでのブレリア。ペペ・デ・プーラとアントニオ・ビジャールの歌で、ポリート、バルージョ、ファルキートと踊り継いで行く。それぞれにみせるのだが、やっぱりファルキート! レトラの最中におかまいなしに強く足を入れる二人とは違い、歌をレスペト、敬意をはらって、歌っている時は基本マルカールのみ。ここで締めだぞ、というポイントにきてから足をいれる。歌を知り尽くしている彼だからこそのこの、歌と踊りの関係がファルキート一番の特徴だろう。

Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.


上手で女たちがたき火をかこんで、火を強くしようと手に持った紙やスカートで風をおくっている。そこではじまるタンゴの宴。踊り手二人、マリナ・バリエンテとヘマ・モネオのファルキートをめぐる恋のさやあて。ヘマはヘレスでみたときより、また成長しているように思う。身体、とくに胴体の使い方など勉強すれば、もっとよくなる部分はまだあるのだが、もっている雰囲気がすごくいい。フラメンコ感覚がどんどんとぎすまされていっているというかんじ。これからも楽しみな才能だ。マリナは長い巻き毛を連獅子のように振り乱す。あまり上品ではない、はすっぱな感じがこれもまたセビージャだよね、と思わせる。

ファルキートはヘマを選び、愛のよろこびをアレグリアスで踊る。 満面の笑み。マエストランサ劇場の大きな舞台をすーっと瞬間移動のようにすべりいく。

下手より花嫁衣装のヘマが現れ、ファルキートは上手で着替えて結婚式。アルボレアが歌われ、結婚式の宴。

Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.

新郎新婦が上手から下手へ、赤ちゃんを抱いてやってきたとかと思うと、下手から上手へと進むとこどもーファルキートの息子フアン・エル・モレーノをーつれてやってくる。

息子を含む、帽子で顔を隠した3人がポーズ。上手の安楽椅子のファルキートも帽子。そこにながれてくるソレア。父モレーノの熱唱だ。

Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.

下手奥からの葬列。泣き崩れる女。
失意から救うのは子供。未来への希望。

Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.
父や祖父の死を乗り越えて、未来へと進む力。
最後はフィエスタ。 ここでもこども、フアン・エル・モレーノがすごかった。

4、5歳だと思われるのだが、かつての父ファルキートと同様、コンパス感がはんぱない。回転も完璧。アンコールでよばれたときも、父のところではなく、直接舞台前面中央に進む武体人ぶり。こうして血が続いていく、亡き祖父の名前をついで。


Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.
作品としては、よく整理されていてわかりやすい。父の故郷(ウエルバ県アルモンテ)であるカンポ、バルでのブレリア、たき火を禍根での宴、結婚…彼らのビダ、人生、生活にある一風景を切り取り、父を思う。それは父の人生でもあり、祖父の人生でもあり、彼の人生でもある。公演先のブエノスアイレスの舞台で公演中に亡くなった父を思い出し、この作品をつくることはある意味、彼にとってのセラピーだったのかもしれない。
 1時間ちょっとの短い作品だが、それだけに内容十分。みごたえはある。
舞踊、そしてファルキートの魅力を満喫するなら夏、ラ・ウニオンでみた「インプロビサオ」の方が絶対いい。純粋にフラメンコを楽しみたい人には今回の公演はちょっと残念だったと思うところもあるかもしれない。でも、これはこれでいい、と思う。
ファルキートが語りたかった父のこと。父への思いが伝わってきたせいか、録音のソレアでは涙がでた。

Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.





キンテーロ劇場公演の変更

ビエナルのオフィシャルではないフラメンコ公演シリーズ。
のっけから公演中止があいついでおりまする、と書きましたが、
その後も中止となる公演が増えています。
ご注意ください。


◆エル・ソル、ラ・サル、イ・エル・ソン
9/24(土)22時「フラグア・デ・ティオ・フアネ」
[出]〈c〉ナノ・デ・ヘレス
9/25(日)20時
[出]〈c〉ホセ・メンデス中止
9/25(日)22時
[出]〈c〉アルフォンソ・ミヒータ・イーホ中止
9/28(水)20時
[出]〈c〉パコ・カサレス“エル・ガソリナ”
9/28(水)22時「ヘレス・ポル・ブレリアス」
[出]〈c,b〉ロス・ビエホス・デ・ペーニャ
9/29(木)20時「プラスエラ・ビバ」
[出]〈c〉フアニジョロ
9/29(木)22時「カバレ・メスティソ」
[出]フェルナンデス・イ・バルガス中止
9/30(金)20時
[出]〈b〉マリア・ホセ・フランコ
9/30(金)22時
[出]〈b〉フェルナンド・ヒメネス
10/1(土)
[出]フレスキート、ホアキン・ロペス・ブスタマンテ
10/1(土)
[出]〈b〉ミゲル・アンヘル・エレディアマリア・デル・マル・モレーノ
[場]セビージャ キンテーロ劇場
[問]前売 https://www.giglon.com/

2016年9月24日土曜日

ドランテス&タクシム・トリオ

アルカサル公演三日目はドランテス。

Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.

まずはシギリージャ、変化をつけてきかせるのはさすが、ドランテス。パーカッションのハビエル・ルイバル(同名歌手の息子)のパーカッションが、単なるリズムではなく、音楽的なのがすばらしい。

こどもの頃、伯父レブリハーノの家などで、他のジャンルのミュージシャンと一緒に楽しんだフィエスタが忘れられない、というドランテスが今回の共演者に選んだのはタクシム・トリオ。トルコのジプシー・ミュージシャンだ。
カーヌーンという、台形の、お琴のようなアラブ諸国でよくつかわれる楽器をひざにおいてかきならす人、バーラマという、琵琶を細長くしたようなトルコの弦楽器を弾き、歌う人、クラリネットと、中央アジアの木管楽器ドゥドゥクを演奏する人のトリオ。

Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.

アラブ的な音階も登場するのだが、アラブというよりも、フラメンコロックのパイオニア、グループ、トリアーナを思い出させるようなメロディ。カーヌーンも、バーラマもロックギターのような感じで、演奏される。伝統を新しいかたちにしていくのはなにもフラメンコだけではないのだ。
続く曲はパコ・デ・ルシアの「シルヤブ」を思わせる。いや、そのものとも思えるメロディのやりとりなどもあって、え、これって「シルヤブ」の原作、と思わされるが、そうではないだろう。スペインで、フラメンコのフェスティバルで演奏するゆえの彼らのオマージュなのかもしれない。


ドランテスとのティエント/タンゴ。二拍子系のものは、ほかのジャンルの音楽とのコラボがやはりやりやすいようだ。

Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.

ドランテの祖母ペラータがフィエスタで歌っていたという「カラバナス」というヒターノたちを歌った曲のアレンジは、マノロ・サンルーカルの「メデア」を思い出させる。ピアノに遠慮がちにトリオもからむ。

そう、おたがいちょっと遠慮がちなコラボレーションだったけど、遠くて近い地中海の音楽。おたがいに刺激をうけて、また新しい挑戦が始まるのかもしれない。


Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.



2016年9月22日木曜日

ダニ・デ・モロン「21」

世界遺産アルカサル、入り口にあるパティオにつくられた特設舞台での公演初日はダニ・デ・モロン。
Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.

35歳の、ソロ・アルバムをこれまでに2枚リリースしているこのギタリストが、新作に協力したアルティスタたちらを迎えて行った公演。豪華なゲストはビエナルならでは、か。
半年前に前売り券が売り切れるという人気の公演。会場には、トマティートやミゲル・アンヘル・コルテス、ロサリオ・トレド、パトリシア・ゲレーロなど、アルティスタたちの顔も。

シギリージャからブレリアへと進むオープニングのギターソロ。ドライブ感抜群だ。

Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.
ゲスト一人目はロシオ・マルケス。6年前くらいかな、ウニオンでランパラ・ミネーラを獲得。細く高いきれいな声で歌うカンタオーラだ。グラナイーナにペペ・マルチェーナのミロンガをあわせ、その後はカラコーレス。ミロンガはボサノバのようにもきこえ、カラコーレスはカラコーレスとは思えないような寂しい感じになるのは声のせい? というか、彼女が歌うと、フラメンコにきこえないのであります。カンシオン、ふつうの歌にきこえる。
メロディは正しいし、リズムを大きく外しているわけでもないのだが、うーん、なんでだろう。声のせい? いや歌い方?
Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.


二人目のゲストはヘスース・メンデス。ブレリア・ポル・ソレアとブレリア。先日のリサイタルでみごとにきかせたシギリージャがないのは残念だけど、どちらも得意曲だけに、とてもいい。熱唱。マイクを外してもしっかり一番後ろに座っていた私のところまで、声が届く。歌詞がわかる。ああ、フラメンコだなあ、と思う。

三人目は特別なゲスト、イスラエル・ガルバン。
舞台から一番遠い、通路で暗闇の中サパテアードをふみはじめる。大きな音が会場にこだまする。
歌の無いシギリージャ。ギターがはじまると、素早く前方に移動。今度は舞台のすぐ下、一番前の席の前で踊り始める。リズムと遊ぶように、動いているのが頭越しにみえる。観客の手を取って、叩いたり、ユーモアもある。
やがて舞台に上がり、ギターの音と遊ぶように踊り続ける。自分の身体を楽器のように叩き、跳ね、静止し、カホンを叩いたと思ったら、その上でサパテアードを踏み始める。
もうこの人の天才ぶりには脱帽しかない。一般的なフラメンコ舞踊とはまったく違うスタイルで、ときにコンテンポラリーダンスともいわれるのだが、実はフラメンコ以外のなにものでもない。その呼吸、その間合い。一見奇妙な形の中にも昔からの形がみえる。
公演が終わったわけでもないけど、スタンディングオーベーションがおこった。さもありなん。

「彼こそ僕の憧れ。夢が叶ってうれしい」というダニのソロはグラナイーナ。繊細さと大胆さが同居する、オリジナリティのある一曲。

四人目のゲストはドゥケンデ。タランタとカルタへネーラ、そしてシギリージャを。この声、この声の速度、かすれ具合。いやあ、すばらしい。ひさしぶりで聴いたけどやっぱりいい。

5人目はアルカンヘル。ティエントスとソレア。この人ののびのよい声は、ドゥケンデやヘスースとは全く違うテイストなのですが、やはりフラメンコ。工夫をして、新しい感覚を与えていく。

Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.

最後は全員でタンゴ。現代フラメンコのスターたちによる夢の競演は、ダニという絆によって結ばれて、幸福な夜はふけていったのでした。


なお、イスラエル・ガルバンは来月、来日公演があります。
あいちトリンナーレで「ソロ」「ふら。こ。めん」の公演があります。東京大阪から日帰りもできるので、スペインに来れなかった人はぜひ!
http://aichitriennale.jp/artist/israelgalvan.html





ラファエル・エステベスがアンダルシア舞踊団新監督に

月曜日のマエストランサ劇場での公演で、アンダルシア舞踊団に別れを告げた、ラファエラ・カラスコに代わって、ラファエル・エステベスが監督に就任することが決定した。

これは来年夏のアルハンブラ、ヘネラリフェ劇場でのロルカ・イ・グラナダという公演シリーズで、ロルカゆかりの作品を上演するため、その作品を公募し、その中から選ばれたということで、彼がバレリアーノ・パーニョと練った企画「…アキ・シルベリオ」がその作品。

これからオーディションが行われることとなる。どんなカンパニーにうまれかわるのだろうか。