2010年3月26日金曜日

日本のフラメンコ最前線3 AMI 再び (長いよ)

いや~よかったです。
もう、ほんと、これはみんなに見てもらいたい。
私的にはスペイン人、それもアルティスタたちにみてもらいたい。

私をそんな気持ちにさせたのはAMI。
エバはなんというだろう、ベレンは? 
彼女たちなら踊りそのものをみてくれるはずだ。
仲間がここにいる。そう思うはずだ。

やっぱフラメンコは国境をこえるよ。
AMIが踊ったのはフラメンコ。
シンプルな“フラメンコ”
日本人のフラメンコ、ではなく、スペイン人とだって、
じゅうぶん、がちんこ勝負できる、
第一線に通用する本物のフラメンコ。
あ、もちろんフラメンコは勝ち負けじゃないし、
勝負するもんじゃないけどね。
同じ土俵にAMIはいるんだ。
んとね、いいたいことは、日本人の、という枠をとっぱらってみても
普通に、そして本当に素晴らしい踊りだったということ。


私はもともとスペイン人でも、日本人でも、同じ視点でみている。
本人は少なくともそのつもり。
スペイン人だってみんながみんなエバ・ジェルバブエナやサラ・バラスではないし
エバやサラだって日によっていいとき、わるいときもあるし
(彼女たちは調子が悪くても一定のレベルを保っている。それだけで感謝だが)
舞踊だけでなく、作品としてみた場合、不満を感じさせられることもある。
スペインのフラメンコ舞踊のレベル、とくにテクニック面の最低基準は、
この20年でぐーんと上がったように思う。
いや、若手の中には正しい姿勢も満足にとれないうちにばりばりやってる人もいるから
正確にいえば、そうではないのかもしれないけれど、
たとえばサパテアードの複雑さ、とかはそうじゃないかな。
だからテクニックそしてコンパスがちゃんとしているというのは実は出発点にすぎない。
そこからどのように自分の思いを伝えるか。
フラメンコの枠からはずれることなく自分をだしていくか。
これがとっても難しい。
これができると同じような位置にいる踊り手たちの中からひとつ頭をだすということだ。
生まれながらの天才も努力で磨かれ開花する。

昨日、25日「エル・フラメンコ」でのAMI
どこをとっても文句のつけどころがない。
テクニック、構成、思いの込め方、伝え方。
ほぼパーフェクトだ。
神は細部に宿る、というが、彼女の踊りも細部がことに素晴らしい。

回転したバタ・デ・コーラの先がコンパスの止めできれいに止まる。
指の動きひとつ、首の向きひとつとっても美しく、フラメンカだ。
まなざしひとつで語る、語る。値千金の目力。
表情にいたるまで気を抜かない。
ひとつひとつの動きを最後まできっちりやって次の動きへとつなげる。
(これって振り付けに追われてたりする人や、
先へ先へと行ってしまう人にはできないけっこうむずかしいことなのだ)
ひとつひとつの動きにセンティード/方向性・意味がある。
腕を伸ばせばその先へと心も動く。その心の動きに観客の心も寄り添う。

そして構成の素晴らしさ。
振り付けは難しい。
サリーダ、歌振り、サパテアード、ジャマーダの組み合わせ=振り付け、
なんていうような単純なものではない。
今まで習ってきたパソの組み合わせだけでもできないことはないだろうけど
あれもこれもと欲張ってただ忙しいだけじゃ、観ているこっちにゃ伝わらない。
いくら難しい足をやっても、関心もたれたり、感心されたりはしても感動はこない。
それで何を伝えたいか。その“何”は言葉にならなくてもいい。
でもその“何”をもっているかどうか。
それを伝えるための工夫。そのどちらもが必要。
ディナミスモ、ってスペインではいうんだけど、
強弱、ニュアンスの変化、など、起承転結じゃないけれど、
いいたいこと、やりたいことがきちんと整理されてこそ伝わる
っていうことがあるんだよね。
踊りだけじゃなくて、ギターやカンテでもいっしょ。
ぜんぶ超絶ファルセータでも、絶唱しまくりでもオレ!の声はかからない。
歌の最後のかすれるようになるところや、
ここぞというところで怒濤のようにたたみかける強さに人は熱狂する。
そういうもんじゃありませんか?

そんな細かくもうるさい観客(私のことだ)の注文にもこたえてあまりあるバイレ。

先週、扱いにくそうなバタだなあ、と
そこにばかりとらわれてしまったティエントも
今回はそんなこと考えたことすら忘れさせるほどに見事な出来。
同じ衣装にもかかわらず、で、あります。
あ、そうなんだ。とすごく納得。そんなバタつかいでありました。
ゆるやかな始まり。リズムをたぐいよせるように踊ると
テンポアップしたタンゴへ昇華していく。
ほんとぞくぞくした。
そして先週に引き続きソレアの素晴らしさ。
ドラマチックで、これはこうとしか踊れない、
今の彼女のソレアなんだ。
はやってるから、というような“狙って”つくったものじゃない。
今の彼女を伝えるためには、この振り付けじゃなくてはいけなかったんだ、
と素直に思える、そんなソレア。
マイムのようにもみえる、モダンと観る人もいるかもしれないはじまりから最後まで
息をもつかせぬ緊張感のある、ドラマチックなソレア。
言葉にならない思いがこめられたソレア。


ミラグロス・メンヒバルやアンドレス・マリンをはじめ
彼女が師事した多くの先生たちや、
彼女が観てきた沢山のアルティスタたちから吸収してきたものは
あちこちにみえる。
でもそれは単なる真似なんかではむろんなく、
そこから栄養をえて今や
彼女独自のスタイルとして確立されている。

いやあ、ほんとうにまったく、文句のつけようのない舞台でした。

ほんとうに感謝。んでもってなんだか人に自慢したくなるような気分。
でもここまでくるためにはほんと、絶え間ない努力があったに違いない。
テクニックあってこそ心は伝わるんだ。
心を伝えるためのテクニックを自分のものとして自由に使えるよう身につけるまで
めっちゃくちゃ大変だったと思う。
才能は生まれながらのものかもしれない。
でもそれをいかすことができるのはこれまでの、
長い年月の努力ゆえ、アフィシオンゆえ。

いやあ、ほんとうにありがとう。
またぜひ観にいきます。
で、スペインでもぜひまた一度。
お願いします!

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