2010年12月23日木曜日

イスラエル・ガルバンとアルカンヘル

22日水曜日朝、豪雨の中、木曜日の、
カハソルのフエベス・フラメンコスの記者会見が行われた。
セビージャの毎週木曜日のフラメンコ公演、
2010年最後を飾るのはイスラエル・ガルバン。

当初はソロ、独り舞台という話もあったようだが
いろいろあって「エダ・デ・オロ」に。
ヘレスのフェスティバル(サラ・コンパニアでだった!)
での初演以来、すでに世界各国で150回も公演している作品だが、
構成は変わらなくとも、中身は成長してきている作品だ。
歌い手とギタリスト、踊り手。3人だけの舞台。
今年2月に亡くなったテレモートが初演した歌い手を
ダビ・ラゴスが引き継いでいたが、
今回はアルカンヘルが歌う。
「歌い手は作品の33パーセントを担っている訳だから
全く違う作品のようになると思うよ」とイスラエル。


二人の話は自然とエンリケ・モレンテの話になる。
エンリケが開いた道があったから
彼らも“自由”な表現ができるのだという話。
エンリケがイスラエルをセビージャに観に来た話。
エンリケはイスラエルの「アレーナ」にビデオで出演しているのだが一銭もとらなかった話。
イスラエルもエンリケによばれると飛んで行った話。
思い出はつきない。。。

やりたいことをやりたいようにやるのだという。
「プーロ(純粋)であるということは自分自身であるということなんだ」

イスラエルはいう。
「僕はフラメンコだよ。外国で公演するとよけいにそう思う。
コンテンポラリーのすごい人はたくさんいる。
僕に拍手してくれるのは僕がフラメンコだからだ。」
新作をスイスで初演したばかりの彼の言葉に重みがある。
「新作をつくるときは全部ゼロからつくるんだ」




コーヒーとクリスマスの伝統菓子、ポルボロンをつまみながら話ははずむ。

「僕らがフラメンコを生きた最後の世代かも。。。」
との話に、ん?
「僕は小さい頃夜はタブラオ、ラ・トローチャの楽屋にいつもいたんだ」とイスラエル。
「たくさんのフラメンコを観た。フラメンコだけじゃなくグラン・シモン(漫談)やなんかもね」
「僕は8歳頃からペーニャのコンクールに行ってた。わからないながらも大人たちのフラメンコの話を必死になってきいていた」とアルカンヘル。
「うちの子はマイケル・ジャクソンに夢中でファンダンゴなんて知らないよ」


うわわ。若手だと思ってた彼らが、ベテラン的発言。
いやま、考えてみれば今や彼らがフラメンコの中心的存在なんだ。
こどものときからフラメンコの中で育って来た彼ら。
今や、youtubeなどで昔のビデオは観放題。情報量は圧倒的に増えている。
でもそこに足りないのは“ビベンシア”、生きること。
共に過ごす時間。フラメンコと(に、で、を)生きる時間。
ミゲル・ポベーダがフィエスタのためにヘレスに旅し
フラメンコの風景を探してセビージャに移住したように、
フラメンコと(に、で、を)生きる時間は彼らのフラメンコを豊かにする。
違うかな。

「昔もいっしょにやったよね」とアルカンヘル。
「うん。ビエナルだったかな」とイスラエル。
「ポル・アキ・テ・キエロ・ベール」のマドリード公演で一緒にやっていたのを
私は覚えている。故マノロ・ソレールの作品。
イスラエルの中には父ホセ、マリオとともにいつも生きている。


岡本太郎の「今日の芸術」(光文社知恵の森文庫)に
「すぐれた芸術家は、はげしい意思と決意をもって、規制の常識を否定し、時代を新しく創造して行きます。それは、芸術家がいあまでの自分自身を切りすて、のり越えて、おそろしい道の世界に、おのれを賭けて行った成果なのです」
とあり、それはそのまま、イスラエルやエンリケやアルカンヘルの姿を彷彿とさせる。



明日の「エダ・デ・オロ」はエンリケとテレモートに捧げられる、
なによりのオマージュとなることだろう。




ちなみに来年のフエベス・フラメンコスの予定は未定。
春頃からになるかも?

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