2013年2月26日火曜日

ヘレス・フェスティバル2013レオノール・レアル

ビジャマルタ劇場に初めてソロで出演のレオノール・レアル
ヘレス出身でフェスティバルのクルシージョを受けていたという彼女。
すでにサラ・ラ・コンパニアやサラ・パウルでソロ公演をしているが
演出家ビクトル・サンブラナと昨年の夏から
会合を重ねつくりあげた作品だというのだが。

「ナランハ・アマルゴ」
Foto;Javier Fergo

1時間強の上演中
フラメンコを感じることはなかった。

カーノの長いギターソロに始まり
ロシオ・マルケスが歌うレバンテで踊り始め
タランタ・タンゴそしてカーニャ、ブレリア、マラゲーニャ
たしかにフラメンコ曲を歌い弾いてはいるし
彼女はサパテアードをうち、回転し、かがみ…
だが、そのかたちはフラメンコには見えない。
フラメンコを踊っているというよりも
体操のような動きなのだ。

何が悪いのか。
それを考えながらみていた。
まず姿勢そして身体の使い方。
回転で軸がぶれる。
姿勢もどこかおかしい。
フラメンコ的なかたちをまねるところからはじめるべきで
アンドレス・マリン的なフラメンコの前衛を踊るにはベースが足りないようにみえる。
すっきりした衣装は彼女の身体をアスリートのそれにみせる。

タンゴを踊っていても
壷に入ればムイ・フラメンカな振りなどあっても
彼女が踊るとドライで
オレ!をよびこむことはない。

従来のフラメンコを壊したいのか?
壊す為にはまずフラメンコでなければ。
フラメンコは体操ではない。
動けばいいというものではない。
歌やギターに触発されてその人の奥底からでてくるものがなければ
フラメンコではない、と私は思う。
もしくはかたち。
多くの先達が残したフラメンコのかたち。
それをなぞり、自らの心を添わせる。
それもフラメンコだ。

これが彼女の個性だといわれればそうなのかもしれないが
少なくとも私が欲するフラメンコからはほど遠いものだった。

レオノールは
いったい何をわたしたちにみせたかったのだろう。










0 件のコメント:

コメントを投稿