2015年2月25日水曜日

パコ!

あれから1年。
思い出すのは彼の笑顔。
初めて買ったフラメンコのレコードはパコのものでした。
1986年のこと。
当時フラメンコのレコードは全て廃盤になっていました。
職場のそばの小さなレコード店に唯一あったフラメンコのソフトが
パコのものでした。
レコードではなくカセットの「野いちご」
パコによるラテンヒットナンバー集。
これってフラメンコ?
と疑問符でながらきいていました。
なつかしい。
1987年にはスペインにやってきて
その翌年マルベージャの闘牛場で初の生パコ。
めくるめく、という言葉がぴったりのひととき。
魅了されまくりでありました。


1990年一時帰国中にあったパコの公演。
通訳でいらした高場先生に紹介してもらい
遊んでもらうようになりました。
 大阪、東京、セビージャ、マドリード、ロンドン、
ミラノ、パリ…
あちこちの公演をみにいき
打ち上げに加えてもらい移動のバスにのせてもらい
話し、笑い…
1994年のビエナルです。
マエストランサ劇場。
この日カメラをもっていた私は
沢山のアルティスタや関係者とパコのツーショットを撮影しました。
「フェリアのおもちゃの馬になった気分」
といいながらも全員の希望にこたえてたパコ。
そのあとは近くでアレハンドロ・サンスも加わり食事をし
近くのバルでサラ・バラスらアルティスタたちも加わってフィエスタ。
スペイン人の知り合いとパコの前でセビジャーナス踊ったり(恥)

映画「フラメンコ」では
撮影にさきがけ録音にやってきたパコのアテンドをしました。
空港で出迎え郊外のスタジオへ
下の写真は撮影のときトリアーナ橋のたもとにあった今はない魚のフライ屋で
昼食後の1枚。
このときまだドゥケンデはセクステットのメンバーではなく
パコたちのシーンの次に撮影が予定されていた若者シーンで
すでにセビージャにきていた彼らと合流してのもの。
パコとの写真を送ってほしいと頼まれたりしたのもなつかしい思い出。
こちらはマドリードでのプレミア上映のあと
当時ディスコだったビジャロサでの打ち上げでの1枚。
うしろにペペやパケーラも写っています。

1997年フランスはトゥールーズ
わきあいあいとしたリハーサル
実はぽろんぽんぽんをひいています。
そういうおふざけも 実はとても好き
これは同じトゥールーズか、ボルドーか。
似たようなベストをきた私がまぎれてるつー。
こんな写真あったの忘れてました。
同じ年11月ナポリでのサッカー試合。
対戦相手は地元のプロモーター

ちなみにグレーのジャージがパコ。手前の半ズボンはグリロ。
この人めっちゃサッカーうまいっす。
 当時の欧州ツアーは2ヶ月くらい続いて
上が寝台車になっているバスでの移動などもあり
たまにのせてもらいました。
バスの中での話とかも心に残ることがたくさん。

 これはフランスのフェスティバルでマノロと一緒になったとき。



ギターを飛行機移動でどうするか、という話題で
パコはジェラルミンケースをつくって預けちゃえ、私はそうしてるよ、
とマノロにすすめてたのが印象的。



アンダルシア州のニーニャ・デ・ロス・ペイネス賞の授賞式
\
レメディオス・アマジャ、パコ、フォスフォリート、ライムンド・アマドール、ポティート。

2007年マラガのビエナル。闘牛場での公演
 コンサートにさきがけベルディアーレスの楽団が演奏し
ロシオ・モリーナが踊りました。
この衣装はアラアルのフラメンコ博物館に展示されています。

 
これはウエルバでの公演後の楽屋にて。
アルカンヘル、ペレ、バルージョ、ビセンテ・アミーゴ
この日はほかにもレブリハーノらたくさんのアルティスタがきていました。



パコ!

いつもあなたを思い出す。

今日、セビージャのマエストランサ劇場では彼の甥、ホセ・マリア・バンデーラ、アントニオ・サンチェス、共演者ダニ・デ・モロン、ホセ・マリア・ガジャルド、そしてヘラルド・ヌニェス、フアン・カルロス・ロメロによるオマージュが、明日、ヘレスではヘレスのギタリストたち、ヘラルド・ヌニェス、アルフレド・ラゴス、フアン・ディエゴ、ボリータ、サンティアゴ・ララ、マヌエル・バレンシアらによるオマージュが開催されます。

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