2017年10月14日土曜日

日本のフラメンコ 南風野香「パドトロワ 白鳥の湖」

芸術の秋。日本人によるフラメンコの劇場公演も目白押し。
その中で目立つのが小松原庸子舞踊団出身者だ。平富恵、谷淑江、石井智子ら毎年のように劇場公演を行っているし、今年からスペイン長期留学する田村陽子も去年までは常連だった。そんな中、今年は南風野香と青木愛子も劇場公演を行う。青木の公演は私のスペイン帰国後で残念ながら観ることが叶わないが、南風野の初めての(だと思う)公演を13日、光が丘IMAホールで観ることができた。

これまでの誰の公園でも見たことのないような、独特な作品である。

名作バレエとして知られる「白鳥の湖」をモチーフにしつつも、そこで展開される物語は、白鳥の湖そのものをフラメンコ化したものなどではない、全くのオリジナルのもの。

簡略化して言うと、バレリーナとして成功し、娘を得た昔のバレエ仲間を羨み、すでに転向していたフラメンコに誘い込み、屈折した復讐を試み、それを果たす、という話。

その女とその昔のバレエ仲間と娘の三人の関係をパドトロワに見立てているというわけなのだろう。
だが、そこに、フラメンコとの神秘的で運命的な出会い、母による娘の支配、娘のスマホへの逃避と依存などのテーマも加わり、また、劇中劇のような発表会はちょっとした息抜きともなる。

そんな複雑な物語を、正確に観客に伝えることの難しさを感じてのことだろう、あらすじが文字で映し出される。一部の最初には場面を表すビデオも挿入されるし、舞台上の実際の人物が映像へと変化するような、プロジェクションマッピング的な試みもあったり。
カルロス・サウラの映画「カルメン」の「カルメン」の制作過程と物語が絡み合う重層構造にもちょっと似ているかもしれない。

音楽は録音と、エミリオ・マジャのフラメンコギターとナタリア・マリンの歌、三枝雄輔のパルマとカホン、2台のトランペット、チェロ、バイオリンによる生演奏。全員が舞台のすぐ下の客席に、オーケストラボックスの感じでいて、観客と同じように舞台を見て、演奏している。チャイコフスキーの白鳥の湖のモチーフがフラメンコギターやトランペットで演奏されたりするのも面白い。

また白鳥の湖の四羽の白鳥をホタで踊った場面と、発表会のシーンで、喧嘩しながら踊るユーモラスなガロティンは出色の出来。真正面から取り組んだフラメンコだけでなく、肩の力を抜いた、こういった応用ができるのは余裕がある証拠だろう。長年の経験はだてじゃない。

小松原舞踊団時代は華奢で繊細な、天使のような透明感、という印象がある南風野なのだが、ここでは百一匹わんちゃんのクルエラのような悪役を嬉々として演じ、好演。
ソロはソレアとタラントの2曲だけだが、構え、というか、立ち姿やちょっとした動きに、彼女の師である小松原の影が見える。一見、似ていない二人だが、ふとした動きやポーズが驚くほど似て見えるのだ。面白い。
その小松原もフラメンコへの道へと導く赤い月の化身として特別出演。圧倒的な存在感だった。
娘役の内城紗良も、母役で友情出演のダンサー、佐々木想美もいい。群舞もしっかりしている。

フラメンコを見慣れた目には、幕開けで見せたバレエ的なマイムの表現力に改めて感心したり、佐々木のコンテンポラリーのソロも新鮮だし、演出でも、客席も舞台になったり、と様々な工夫が凝らされ、小松原舞踊団好演の美術も務める南風野の夫、彼末詩郎の舞台の上の人たちをより美しく見せるような、決して出すぎることない美術もいい。美しい2時間の舞台も飽きることなく観ることができた。

説明の言葉を映写したり、は意見の別れることだろう。舞踊は舞踊だけで、言葉にはできないものを伝える力がある、と私も思う。
初めての舞台で、伝えたいことがありすぎたのかもしれない。
でも今の彼女はこれがやりたかったんだからそれでいい、と思う。
作品の中心の三人はもちろん、舞台上のすべての人が、ものが彼女の化身だったのかもしれない。



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